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英語が外国語であるわれわれにとって,英語で発表したり,論文を書くことは決してcomfortableなことではない.頭の中で余分な思考過程が要るし,微妙なニュアンスを伝えたり,軽妙な言い回しなど,もとより出来ない.しかし,数値としてdataを見せられると英文で発表せざるを得なくなる.まず読者の数である.日本語は読めないが,英語なら理解できる読者の数は膨大だと思う.これは逆を考えれば容易に理解できる.フランス語やスペイン語でいくら優れた論文があったとしても,少なくとも私にとっては無に等しい.日本語はさらにminorな言語である.次に引用の頻度である.Impact factorといって,あるjournalに載った論文が翌年平均何回引用されるかというindexがあるが,皮膚科領域では,J Invest Dermatolが3.3, Br JDermatolとArch Dermatolが1.8, J Am AcadDermatolが1.7と続き,ドイツ語のHautarztは0.5である(1989 Year Book of Dermatologyより).Hautarztは英文抄録がなければもっと低くランクされると思われる.数年前,ウィーン大学のDr.Stinglが京都へ来たときに,ドイツ語圏の彼に「私はドイツ語が出来ないのでHautarztを読めなくて残念だ」とお世辞のつもりで言ったら,「Hautarztを読む必要はない」と逆にたしなめられた.その是非は別にして,私は,彼にドイツ語圏の新しいgenerationを感じたし,日本人ももっと英語に貧欲でなくてはならないと思い知らされた.そういえば,Dr.ChristophersとDr.Wolffもとても流暢な英語を話す.実験結果に自信があればあるほどより多くの人に読んでもらいたいし,より多く引用されたいと思うのは研究者として当然の欲求だと思う.実験の労苦を思えば,英語で書く労力を惜しむべきではないし,慣れが大切だと思う.ここ数年の研修医の先生をみていると,研修1年目に日本語でも論文を書かなかった人は,そのあともほとんど書かないし,卒後数年以内に英文論文を書かなかった人は,そのあとも英文で発表しないという法則が成立することに気づく.研修医のときから英文で発表するクセをつけることが肝要だと思う.私が研修医のころ,京大にはそうそうたる先生たちがおられ,IBMのタイプライターも順番を待つほどだった.それが,駆け出しの自分たちに無言の圧力となって,英文で書かざるを得ない雰囲気を作っていた.今は,ワープロのおかげで打ち直しの苦労は減ったし,世の中も十分国際化してきている.だからこそ「英文で発表を!」なのである.
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