--------------------
べらどんな AMD
GEN
pp.1600
発行日 2018年11月15日
Published Date 2018/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410212967
- 販売していません
- 文献概要
戦前のことであるが,ドイツには教授が何年かごとに大学を移る習慣があった。円盤状黄斑変性に名を残しているクーント(Hermann Kuhnt, 1850-1925)もその例である。
まずイエナ大学の眼科の教授になった(Jena, 1881-1902)。そのあと東プロイセンの首都にあるKönigsberg大学の教授になる(1902-1907)。それからボン大学に招聘され,70歳まで在任した(1907-1920)。
Copyright © 2018, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.