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われわれは精神疾患をいかに分類すべきであろうか。とくに予後および治療の面で意義深く他の範となるような見地からは,どのように分類することが可能であろうか。——こういった問題は,精神医学が学問として成り立って以来,精神科医の心を最も切実にとらえてきた課題である。ことに今日では,器質性や症候性の疾患,さらにてんかんおよびその近縁状態など,広範囲にわたる周辺領域がある程度よく類別されているため,この課題はなおさらのこと,『純』精神病(“einfache” Seelenstörungen)と呼ばれている膨大な疾患群にあてはまる問題である。もっともこの純精神病については,今まで非常に多くの研究がなされてきたにもかかわらず,繰り返し失敗と幻滅が相次いだため,精神疾患ではこのような分類は不可能かも知れないという,悲観的な見解の素地がだんだんと出来上ってきた。たとえば進行麻痺の如く,実際に類別が明確な(あるいは少なくとも最近までは明確と思われていた)魅力的な例でさえ,それは単なる偶然の秀作であって,似たような成果を他に期待してもかなえられそうにないといわれているのである。
体系学に関して他の臨床科目と比較する場合,精神科医自身がまた特に好んで,自分たちの専門領域の不利なことを無造作に引合いに出すが原注2),そもそも内科学とこのような比較をすることは当を得ていない。なぜなら内科学は,精神医学その他の諸科目のような特殊分野ではなく,絶えずなにがしか変動し,あちこちで常に脱皮したあとの,総合医学としての大きな残部を意味しているからである。内科医が診断を下し分類を考える場合,彼は多数の身体臓器ないし器官系に対峙している。彼はまず,大まかではあるが器官群を目標におき,次いで『疾患の座』となっている器官を決定する必要がある。さもなければ,病源体ないしなんらかの他の障害に基づいて原因的な診断を下すのである。ところが精神医学という特殊分野ではこの両者ともに欠けており,しかも当の内科医でさえ,「ある1つ」の器宮の病気を分類することだけに専念するとなると,病因的考察を駆使して強引に分類しても,たちどころに精神科医とまったく同じ状況に落ち込んでゆく。今日としては今更指摘するまでもないが,たとえば腎疾患や血液病についての文献や学会討議をみると,意見の相違が甚しく,積極的な前進の議論と片や悲観論が絶えず交錯し合うさまは,その一語一語がまさに精神医学における論争にも匹敵する。またごく最近では,ヴァイヒプロット(Weichbrodt)が述べているように(Dtsch. med. Wschr., 1925, Nr. 5),慢性関節疾患の学説と精神病の諸学説との間には,ほとんどすべての基本的な問題について広く類似性がみられる。
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