動き
日本精神分析学会第22回大会に出席して
長岡 興樹
1
Kohki Nagaoka
1
1長崎市立市民病院精神神経科
1Dept. of Neuro-Psychiatry, Nagasaki Municipal Hospital
pp.301-305
発行日 1977年3月15日
Published Date 1977/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202597
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I.はじめに
日本精神分析学会第22回大会は,昭和51年10月16・17の両日,東京,野口英世記念会館で開かれた。第11回総会が開かれた昭和40年,わたしはどちらかというと,当時,場所・日時ともに本学会と隣接して開かれていた日本精神病理・精神療法学会への関心から,はじめて両学会へ出席した。インターン生であったわたくしにとって,その内容はいずれも魅力的なものであった。顧みると,それから10年の間に,本学会のあり方や内容にかなりの変化がみられる。1つは,44年の内部批判とそれに続く改革の時期を経て,本学会が教育研修の一翼を担うという方向である。実際,昭和48年の第19回大会から,学会前夜にプレコングレスとして,3時間にわたってスーパーヴィジョンの実際が提示されるようになり,翌年の第20回大会からは,学会第1日目の前半が「研修的症例研究」に当てられている。この2つは,精神分析的な雰囲気の薄い地区の会員にとってはありがたいことである。
つぎに内容的な変化として注目されるのは,牛島定信(福大)・岩崎徹也(東海大)両氏の,クライン学派との交流から,48年以後,治療理論として対象関係論が話題となることが多くなったことである。今回も,発表された7つの一般演題のうちの4題は,対象関係論に何らかの形で係わるものであった。10年前と比べて,演題数が著しく制限され,一演題についての発表・討論にかなりの時間がさかれているので,高所から総括するというのではなしに,紙数の許す範囲でまず一つ一つの演題に触れていき,あとでわたしの感想を述べることにする。
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