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I.はじめに
この表題からさしあたり思いつく論議の方向は二つである。一つは人間学の立場にたつ諸家の方法論のそれぞれを,その哲学的背景にまでもたちいつて対比検討するという方向であり,あと一つは,人間学的潮流のなかでのそのような方法上の差異は一応不問にふし,一般に人間学という,いうならば生物学的自然科学的医学への反措定としての学が,精神医学のみならず医学一般のうちにおいて,どのような理由で独自の科学性を主張することができ,どのようにしてプラクシスに寄与していくのか,要するに人間学的研究全般の大まかなプロフィルを画こうとする方向である。
周知のとおり1920年前後の欧州の精神医学に発し,精神疾患者における「人間」ないし「世界」の理解をめざしたところのこの動向は,ついにBinswanger, L. の金字塔的ともいえる大著「精神分裂病」(1957)を生むまでにいたつたが,それだけに反面,人間学という一つの標識のもとに包含される研究方向もこんにちではかなり多様なものとなつた。一二の例をあげると,Binswanger一派の「精神医学的現存在分析」とZutt一派の「了解人間学」の間には,説明的と了解的(村上,木村敏)11),あるいは疾病学志向的と症候論志向的(木村敏)10)という対比が可能なほどの懸隔があつたり,またFreud的人間観に親和的な人間学としからざる人間学(たとえばMinkowskiのそれ)という区分が可能であつたり(村上)12),さらにはBinswanger,Kuhn,BlankenburgらとGebsattel,Storchらとの間にも,また同じく現存在分析をいうBinswangerとBoss, M. との間にさえ,方法論的対立3)という意味ではかなり厳しいものがあるようである。また「医学的人間学」の名で知られるWeizacker, V. とBinswangerの方法論の相異13)についても種々論議が生まれうるであろう。
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