教室めぐり・33 神戸大学公衆衛生学教室
公害解明のメッカ
塚本 利之
1
1神戸大学公衆衛生学教室
pp.538
発行日 1972年8月15日
Published Date 1972/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204535
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忌憚なく筆をとらせていただきますと,当時の兵庫県立神戸医科大学からの三顧の知遇に,熊本大学の教授の座から初代の教授として喜田村正次先生が就任なされ,開講の運びとなったのが昭和35年,そして41年の国立移管となりましたけれども,私たちの教室の歴史は新しいのです.
しかし繙かれた歴史の一頁は,熊本時代を受継ぎ,追求の輪を狭めつつあった水俣病の究明への努力で埋められているのです.その頃,朧気に推測されていた有機水銀という原因物質を構造論的に明確に決定づけるための単離抽出の努力を皮切りに,貧弱な設備との戦いの中で,やがて薄層クロマトによる単離を成功させ,引き続きガスクロマトによって超高感度にメチル水銀の定量分析の術式を開発したのです.ここに培われてきた実力は,昭和39年,新潟県阿賀野川下流流域に発生した中毒症を,第2の水俣病であるといち早く同定することを可能としたのです.一つの技術の開発は,公害源企業の執拗な反論を覆す論拠として,アセトアルデヒド生産工程でのメチル水銀副生の生成機構を実証し得たことを手はじめに,メチル水銀等有機水銀の生態学的領域に係わる部門への影響,ミクロには生体機能に及ぶ多くの機序を体系的に,また論理的に築いてきたのです.
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