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公衆衞生協會の歩み—公衆衞生學會との關連を中心に
吾妻 俊夫
pp.21-22
発行日 1952年1月15日
Published Date 1952/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200983
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會員の皆さんから協會と學會との關係がはつきりせぬと種々御質問がありますので其れ等の事を中心として經過を述べたいと存じます。
話しの都合上熱海會談と云うものから初めます。丹念なる田宮先生の日記録から拜借致しますと其の期日は昭和22年(1947年)4月26日の土曜日から翌27日の日曜にかけた日でありました。尤も其の以前からも何度となく關係の人々が集りを催したのでありますが終戰後の交通や繁忙やは早退遲刻と云う具合で仲々皆なが一度に顔を揃えて會談すると云う事が出來なかつたので,遂に思いきつて遠出して禁足的の會合を試みたのがこの熱海會談であります。其の時に集合された顔振れは田宮猛雄,勝俣稔,吾妻竣夫,小島三郞,古屋芳雄,草間良雄,三木行治,楠本正康等の諸氏で其の夕から種々の角度より公衆衞生學會について論じ合い澤山の意見を出して戴いたのであります。これを懐ろに安眠し翌朝8時を期して取りまとめの會談を初めました。この試は大變成功致しまして能率的に運んで意見の交換にも學會盛上げにも實に順風に帆を上げる段取に進んだのであります。そこで次の機會は東京に於て愛育會を拜借して會場とし,戸田正三,中山壽彦,小林六造,高野六郞等の諸民の列席を願い又各方面の公衆衞生關係の多數の權威者に御集りを願つて更に御意見の開陳をして戴いたのであります。
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