理学療法草創期の証言
理学療法士免許証第弐弐弐號を手にするまで
宮澤 映
1
1佐久市立浅間総合病院
pp.413
発行日 1994年6月15日
Published Date 1994/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104030
- 有料閲覧
- 文献概要
私は,1959年9月,整肢療護園(東京都板橋区,厚生省委託肢体不自由児協会経営)に整肢理療師として就職しました.早速先輩が酒を飲ませてくれ,療育のこと,高木憲次園長,小池文英副園長,五味重春医務部長のこと,療育事業との関わりやリハビリテーション推進の話から始まって,1957年から整形外科学会と肢体不自由児協会の後援で研修会が行なわれ,日本理療師会はテキストまで出しているが,なかなか「マッセル」の枠から抜け出せない,等々深夜まで話してくれました.しかし,「療育」「リハビリテーション」などは初めて聞く言葉でしたし,また上肢,下肢,日常生活動作などの機能訓練が実際に実施されているようすを目の当たりにして,当然ながら私は何もかも試行錯誤の状熊でした.
1960年,日本理療師会に入会しましたが,会員の資格はさまざまで生活苦の時代の中で身分法対策の模索が始まりました.1961年には,厚生省内でもリハビリステーション推進機運が高まり,整形外科学会リハビリステーション委員会が設置され,高木憲次氏他4氏が報告した「機能療法及び職能療法に関する研究(厚生省科学研究会委託)」は,機能療法,職能療法の確立と技術者養成に関するものですが,「現在肢体不自由児施設で働く整肢理療師が最も近い事を行っている」の一節に流れの渦中にいることを再認識したものです.
Copyright © 1994, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.