オピニオン
踊り場
杉山 繁雄
1
1京都保健衛生専門学校臨床検査学科
pp.200
発行日 1996年3月1日
Published Date 1996/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543902637
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“踊り場”この言葉は人生の踊り場の意味である.私が人生の教訓としている言葉である.
話はさかのぼるが,1977年10月,滋賀医科大学医学部附属病院創設準備室に京都大学医学部附属病院中央検査部から転任し,日々準備に追われようやく開院(1978年10月4日)にこぎつけ,その4年後のことである.これは国家公務員定数削減下のため,今後の定員増加はもちろんのこと,非常勤職員の増加も認められない情勢下でますます増加の一途をたどる検体数に対処し,診療科の要求をできるだけ満たすにはこの方法よりないと考え抜いた挙句の決断が,財団和仁会による院内外注であった.財団の検査技師は当初2名で発足し,この外注の利点として緊急検査に対応できる,精度管理ができる,検査結果報告が早い,契約が外部に依頼するより安値であるなどが挙げられる.この院内外注に関しては学内で多くの論議がなされ事務当局のご理解も得ていたが,1982年ごろ検査外部依託経費が大きくなり,文部省からも指摘される時代があった.学内ではいろいろと討議を重ねたがなかなか結論を得ず,特に検査部の責任を問われたのである.当時の病院長以下,事務関係者,検査部長,技師長と何回ともなく話合ったがなかなか結論が出ず,特に技師長の責任を問われ,私と事務側とは真っ向から対立したのである.
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