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「扉」にて,松前教授が9.11について書いておられます.私は阪神淡路大震災のときに国立循環器病センターに勤務していました.そこでは中にいることと,外にいることの違いの重要性を実感しました.多くの医師が倒壊した建物の隙間をくぐり抜けて病院にたどり着きました.次々に運び込まれる患者の治療に一刻も早く加わるのが目的でした.しかし病院は閑散としていました.患者搬送や配分に指揮系統や情報はなく,少し離れたセンターに患者が搬送されることはありませんでした.惨状を目にした医師達は救援活動に飛び出そうとしていました.十分間に合っているので救援活動は必要ないという当該行政側の的外れの答えが,やっとつながった電話の先から聞こえてきました.災害中心部で現状がまったく理解されていないことは明らかでした.情報が伝達されない,共有されないということは指揮をとる者の判断を大きく狂わせることになります.大災害時の漏電やガス漏れは二次災害を引き起こします.しかし大都市のライフラインの遮断は膨大な損害をもたらすこともあり,最高責任者にとっては自分の社会的生命をかけた決断となります.大阪のあるライフラインの最高責任者は地震の直後すぐに東京に飛んで,遠方から客観的情勢をとらえて,シャットダウンを決断したといわれています.普段は温厚で,親族の間では普通のおじさんに過ぎない(失礼申し上げます),あの方の迅速な判断と決断になぜ最高責任者になれたかの理由を垣間見た思いです.他方,普通の婆さんにすぎない(これも失礼),私の友人の母親は震災の惨状を知るやいなや,近所の若者に大枚はたいて依頼をし,オートバイで神戸の知人にペットボトルの水を届けさせました.通常1時間の距離を8時間,9時間かけてたどり着いたとのことです.現場では飲料水の確保が死活問題であり,泣いて感謝されたとのことでした.個人的なことですがその判断と対応の早さと思い切りのよさに圧倒されました.
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