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危機の時ほど公衆衛生が見える
20世紀半ばからのわが国の公衆衛生は,1946年の日本国憲法の制定,および日本社会への民主主義・民主的手法の導入や全国各地の地域保健活動の発展等とともに,また,1946年のWHO憲章や世界人権宣言などの世界的潮流の中で比較的順調に発展し,わが国が高度経済成長を遂げた後はかってないほどの高い健康水準・公衆衛生水準に達した.その後,世界的にはプライマリヘルスケアやヘルスプロモーションが提唱されその推進が図られたところであるが,わが国においても数々の施策と法・制度の改革・充実,そして各地における保健医療福祉活動がなされた.2000年前後においては,乳児死亡率,平均寿命,健康寿命等の健康水準においては世界一の国であるとされ,わが国の公衆衛生の誇るべき成果と思われた.
しかしながら,2001年の日本公衆衛生学会評議員に対するアンケートによると,公衆衛生のアイデンティティは,その6割が「今,揺らいでいる」と答えている1).背景には,20世紀末から21世紀初頭にかけての流動化し混迷を極めたわが国の社会状況もあると思われるが,そもそも「公衆衛生」という言葉自体が,日本社会から急速に姿を消していった時代でもあった.マスコミのニュースでも「公衆衛生」という言葉が登場することは極めて稀であり,全国の医科大学・医学部においては,長年の衛生学,公衆衛生学の2講座制が崩れ,1講座となったところもあれば,「公衆衛生」あるいは「衛生」という名を冠した講座が急速に減少した時代でもあった.国立公衆衛生院も国立保健医療科学院へと名称を変更し,公衆浴場が減り,公衆電話が姿を消し,個人の携帯電話が爆発的に普及していった.「公衆衛生」に限らず「公衆」を冠する名称が消えていき,21世紀は“個人の時代”となることを感じさせた.
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