今月の臨床 体外受精マニュアル—新しく始める人へのアドバイス
巻頭言
坂元 正一
1
1母子愛育会総合母子保健センター
pp.919-921
発行日 1995年8月10日
Published Date 1995/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409902193
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「体外受精マニュアル—新しく始める人へのアドバイス」が出される時代になったかとの思いが強い.Edwards博士がヒト受精卵が64個にも体外での分裂に成功したことを国際不妊学会(IFFS)で発表したのが東京大会(1971年)で,本誌の顧問であった故長谷川敏雄教授が会長であったこともあり,先日のように思い出される.FIGO世界大会の前年1978年7月には,Steptoe博士は彼と組んで,2年の不妊症治療の間に卵管を切除してしまったレズリー・ブラウン夫人に体外受精による世界最初の試験管ベビー,マリー・ルイーズちゃんを抱きあげる幸福を与えたのであった.東京でも花形だったが,翌年IFFS理事会をカナリヤ諸島で開催した時プールサイドでいろいろの裏話に華が咲いた.
その時彼の貸してくれた海水パンツは私の洋服ダンスの肥しになっている.その後あまり日の経たぬうちに彼の夫人が,そして彼が軽度の半身不髄となり,ステッキをつき互いに支え合いながら,ダブリンの不妊学会場で静かに踊っていた姿が目に浮かぶ.メインテーブルで生命操作の可否がささやかれていた.体外受精の火は燎原の火のごとく世界中に広がり,先陣争いの感さえあったのは事実である.卵や精子,受精現象,着床現象にまだまだ不明の所があると思った私は,教室では,生殖生理の,その部分をやることの方が大事だと考え,在任中体外受精は禁止した.
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